この記事は漫画版に基づきます。アニメとは展開が異なる場面があります。
漫画『ドラゴンボール超』で、ブルマをはたかれたベジータが破壊神ビルスに向かっていく場面は、1巻 第3話「ビルスの怒り」です。『超』の最初の章である破壊神ビルス編の中で、ベジータの印象を大きく変える回です。この記事はネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
ブルマの誕生パーティーに現れた破壊神ビルスが騒ぎを起こし、ブルマはビルスに平手打ちをします。ビルスはブルマをはたき返します。少年時代にビルスの恐ろしさを目にしていて、戦いを避けてきたベジータは、それを見て怒りを爆発させ、ビルスに攻撃を当てるほどの力を見せます。
考察
恐れを知っている人の怒り
作中の事実として、ベジータは少年時代にビルスの恐ろしさを見ていて、この場面まではビルスとの戦いを避けていました。漫画版では、ベジータがビルスに向かっていくのは、ブルマがはたかれたあとが初めてです。
ここからはヨミコミの読みです。この順番が、場面の意味を決めていると考えます。ベジータは、相手がどれほど危険かを誰よりも知っていました。だから戦いを避けていた。その判断は臆病というより、相手の強さを正しく見積もっていた結果です。そのベジータが動いたのは、自分が侮られたときではなく、ブルマが手を上げられたときでした。
恐れを知らない人が向かっていくのと、恐れを知っている人が向かっていくのとでは、同じ行動でも重さが違います。ベジータは恐れが消えたから踏み出したのではなく、恐れよりも先に体が動いた。この回の怒りは、そういう種類の怒りとして読めます。
しかも作中の事実として、その怒りの中でベジータは、ビルスに攻撃を当てるほどの力を見せています。ヨミコミの読みでは、ここで描かれているのは、恐れていた相手に勝てたかどうかではありません。恐れのせいで出せなかった力が、守りたいものを前にしたときに初めて表に出た、ということです。力の大きさそのものより、その力が何に引き出されたのかが、この場面の見どころだと考えます。
ブルマもまた、引かなかった
見落とせないのは、最初に破壊神に手を上げたのがブルマだという点です。作中の事実として、ブルマは騒ぎを起こしたビルスに平手打ちをしています。
ヨミコミの読みでは、この場面は二人の場面です。ブルマは相手が誰であっても、自分の場を荒らされたことに黙っていませんでした。ベジータはそのブルマが傷つけられたことに黙っていませんでした。引かなかった人のために、引かなかった人がいる。夫婦のやりとりとして派手な言葉が交わされるわけではありませんが、互いの気性がよく似ていることが、行動で示されているように見えます。
原作のベジータから続いている変化
原作の魔人ブウ編で、ベジータはトランクスを抱きしめ、家族と地球のために命を懸けました(其之467)。そこでは、ずっと自分に向いていた誇りの向きが、自分以外の誰かへと変わる瞬間が描かれていました。
ヨミコミは、『超』のこの場面を、その変化がその後も続いていることを示す場面として読みます。命を懸けるほどの極限ではなく、誕生パーティーという日常の場で、ベジータは家族のために怒っている。大きな決断の一度きりではなく、日常の中でも同じ向きの行動が出てくる。変化が本物だったことは、こういう何気ない場面にこそ表れるのかもしれません。
今の自分に置き換えると
相手が手ごわいとわかっているからこそ、ぶつかるのを避けてきたことは、多くの人にあるはずです。避けること自体は、状況を冷静に見た判断であることも少なくありません。
それでも、大事な人が傷つけられたときには、自然と引けなくなることがあります。この場面は、そうした気持ちを否定せずに描いています。ただし、怒りに任せて動くことを勧めるものではありません。自分が何のためなら引けないのかを知っておくことは、ふだんの判断を見直すきっかけにもなりそうです。
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原作でベジータが息子を抱きしめてブウに向かった場面(其之467)と、心の中で悟空を認めた最終決戦の場面(其之510)をあわせて読むと、ベジータの変化の流れがつかめます。