ベジータがトランクスを抱きしめ、ピッコロに託して魔人ブウに向かう場面は、第39巻 其之467「さらば誇り高き戦士」です。息子との別れの流れは直前の其之466の終わりから始まっているので、2話続けて読むと場面の重さがよく伝わります。この記事はネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
復活した魔人ブウを前に、ベジータは自分の力では太刀打ちできないと悟ります。赤ん坊のころから一度も抱いてやったことがないと言ってトランクスを抱きしめ、気絶させてピッコロに託します。死んでも悟空とは会えないと聞かされたうえで、ベジータはブウを道連れにしようと、自分の命と引き換えの攻撃を選びます。
考察
直前まで、ベジータは誰のために戦っていたか
作中の事実として、魔人ブウ編のベジータは、悟空との決着をつけるためにバビディの術をあえて受け入れ、額に印を刻まれた状態で悟空と戦っています。その戦いで生まれたエネルギーは、ブウの復活に使われてしまいました。
ここからはヨミコミの読みです。ベジータの誇りは、ずっと自分自身に向いていました。サイヤ人の王子として誰よりも強くあること、悟空に勝つこと。家族との穏やかな暮らしの中で自分が変わっていくことを嫌い、自分から悪の側に戻ることさえ選んだ。其之467の選択は、そのすぐあとに置かれています。つまりこの場面は、ベジータが最も自分勝手だった時間の直後に来る、最も自分以外のための瞬間です。この落差が、場面を強く印象づけていると考えます。
抱きしめたことがない、という告白
作中の事実として、ベジータはトランクスに、赤ん坊のころから一度も抱いてやったことがないと打ち明けてから抱きしめます。そして抱きしめた直後に気絶させ、ピッコロに預けています。
ここからはヨミコミの読みです。抱きしめる前にわざわざそれを言葉にしたところに、ベジータという人物がよく出ていると考えます。父親らしいことをしてこなかった自覚があり、それをごまかさずに口にする。そのうえで、息子が止めに入る前に気絶させてしまう。最後まで不器用で、最後まで言い訳をしない人です。優しさを見せる時間はほんの短く、そのあとはすぐに戦士の顔に戻る。その切り替えの速さが、この場面をただの湿っぽい別れで終わらせていない理由でしょう。
悟空に会えないと知ったうえで
この場面の選択を重くしているのは、ベジータが、死んでも悟空とは同じ場所に行けないと聞かされていることです。自分がしてきたことを振り返れば、あの世で待っているのは悟空のいる場所ではない。ライバルとの決着を何より望んできた男にとって、それはおそらく一番手放したくないものでした。
ヨミコミは、ここにベジータの誇りの向きが変わった瞬間を読みます。これまでの誇りは、悟空に勝つ自分を守るためのものでした。この場面の誇りは、家族と地球を守る側に立つ自分を選ぶためのものです。話のタイトルにある誇り高き戦士という言葉は、以前からのベジータの自己像でもありますが、この回で初めて、その中身が入れ替わったように読めます。
ナメック星で涙を流しながら、サイヤ人の手でフリーザを倒してくれと悟空に託した場面(其之308)と並べると、変化がよりはっきりします。あのときのベジータは、自分にできなかったことを悟空に託す側でした。其之467のベジータは、誰にも託さず、自分で引き受ける側に立っています。
今の自分に置き換えると
大事な人に向けた気持ちを言葉にするのが苦手な人は、少なくありません。ベジータの場面は、長いあいだ何も伝えてこなかった人にも、伝える瞬間は持てるということを描いています。上手に言えなくてもいいし、短くてもいい。言葉にしたこと自体が、相手に残ることがあります。
ただしこの場面は、自分を犠牲にすることを勧めるものではありません。ベジータの選択は物語の中の決断として重く描かれていて、読み手がそのまま重ねるものではないはずです。自分を責める気持ちや、すべてを終わらせたいような気持ちが続いてつらいときは、一人で抱え込まず、信頼できる人や、厚生労働省「まもろうよ こころ」で紹介されている相談窓口に話してみてください。
あわせて読みたい
ナメック星で悟空に思いを託したベジータ(其之308)と、心の中で悟空を認める最終決戦の場面(其之510)をあわせて読むと、ベジータの誇りがどう変わっていったのかがたどれます。