この記事は漫画『ドラゴンボール超』の描写に基づきます。アニメ作品などに登場するバーダックとは分けて、この回に描かれた姿だけを扱います。
漫画『ドラゴンボール超』で、40年前にバーダックが幼いグラノラと母親を見逃していたと明かされる場面は、18巻 第77話「悟空の父バーダック」です。グラノラ編の見え方を大きく変える回です。この記事はネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
40年前、サイヤ人に襲われたシリアル星で、バーダックは生き残っていた幼いグラノラと母親を見つけます。しかし自分の息子カカロットを思い出し、二人を見逃して、山中に隠れていた生き残りのナメック星人のもとへ連れて行きます。そして現在、その恩人が悟空の父だったことが明かされます。
考察
復讐の相手と、命の恩人が重なる
作中の事実として、グラノラは故郷を襲ったサイヤ人に強い恨みを抱いてきた人物として描かれています。そしてこの回で、幼いグラノラの命を救ったのもまたサイヤ人であり、しかも悟空の父バーダックだったことが明かされます。
ここからはヨミコミの読みです。この構図の強さは、グラノラの中で、憎むべき相手と感謝すべき相手が同じ種族の中に同居してしまうところにあります。サイヤ人をひとまとめにして恨むことは、ある意味ではわかりやすい生き方でした。けれど、自分が生きていること自体がサイヤ人の一人の選択の上にあったと知れば、そのわかりやすさは保てません。グラノラ編は、復讐の物語が、相手をひとくくりにできなくなる物語へと変わっていく流れを描いていると読めます。
なぜバーダックは見逃したのか
作中の事実として、バーダックが二人を見逃したのは、自分の息子を思い出したからだと描かれています。
ヨミコミの読みでは、ここにこの回のいちばん大きな意味があります。星を襲う側にいた戦士が、目の前の母と子に、自分の家族を重ねた。大きな思想や正義感から出た行動ではなく、ひとりの父親としての感覚から出た行動です。だからこそ説得力があると考えます。立派な理由がなくても、人は誰かを思い出したことで、目の前の相手への手の出し方を変えることがある。バーダックの選択は、そういう小さくて確かな動機として描かれています。
さらに作中の事実として、バーダックは二人をただ見逃しただけでなく、隠れ場所まで連れて行っています。ヨミコミの読みでは、この一歩の違いは小さくありません。見逃すだけなら、その場で手を下さないという選択で終わります。隠れ場所まで連れて行くのは、二人がこの先も生き延びられるように、自分から手を貸すという選択です。バーダックはこのとき、襲う側にいながら、ほんの少しだけ守る側に回っていたと読めます。
悟空の知らないところで、父がしていたこと
原作の悟空は、幼いころに育ての親の孫悟飯に育てられ、自分の出自をあとから知っていく人物でした。サイヤ人としての過去について、悟空はほとんど何も覚えていません。
ヨミコミは、この回を、悟空が知らないところで父がしていたことが、40年を経て悟空の前に戻ってくる話として読みます。父が見逃した命が、今は悟空の前に敵として立っている。悟空自身は何も選んでいないのに、父の選択の結果と向き合うことになる。受け継ぐのは強さや血筋だけではなく、親が残した行いもまた受け継がれていく。『超』のこの回は、そのことを静かに描いていると考えます。
今の自分に置き換えると
ある集団や立場の人をひとまとめにして、よくない印象を持ってしまうことは、誰にでも起こりえます。過去に嫌な経験があれば、なおさらです。
この場面は、そのひとくくりの見方が、ひとりの具体的な行いによって揺らぐ瞬間を描いています。相手を個人として見直すことは簡単ではありませんし、すぐに気持ちが切り替わるものでもありません。それでも、自分の知らないところで誰かの選択に支えられているかもしれない、という見方を持っておくことは、人との向き合い方を少しやわらげてくれそうです。
あわせて読みたい
悟空を育てた孫悟飯(じいちゃん)が一日だけ戻ってくる場面(其之108)と、ナメック星で惑星ベジータの過去が語られる場面(其之308)をあわせて読むと、悟空のルーツをめぐる描かれ方を比べられます。