占いババの試合で、仮面の男の正体が悟空の育ての親・孫悟飯だとわかる場面は、第9巻 其之108「孫悟飯」です。悟空が物語の最初から大切にしてきたじいちゃんが、一日だけ悟空の前に姿を見せる回です。
どんな場面か
悟空たちは、占いババのもとでドラゴンボールの在りかを占ってもらうため、ババが用意した戦士たちと戦っていました。5人目として現れた仮面の男は、悟空と互角に渡り合い、弱点の尻尾をつかんで形勢を逆転しますが、その拍子に尻尾がちぎれてしまいます。仮面の男が負けを認めて仮面を外すと、その正体は亡くなったはずの育ての親、孫悟飯でした。悟空は抱きついて泣きます。じいちゃんは、あの世から一日だけ来ていると告げ、亀仙人に礼を言って帰っていきます。
考察
強くなった姿を見せる相手としての、じいちゃん
作中の事実として、悟空は物語の最初から、じいちゃんの形見として四星球を大事にしていました。山奥で一人暮らしをしていた悟空にとって、じいちゃんは家族であり、最初の先生でもあった存在です。
ここからはヨミコミの読みです。この試合は、悟空にとって、成長した自分を見せる唯一の機会でもありました。亀仙人のもとで修業し、天下一武道会に出て、レッドリボン軍とも戦ってきた。そうした旅の成果を、いちばん見てほしかった人に、拳を通して見せることができた。仮面の男が正体を隠したまま戦ったのは、言葉で褒めるより先に、強くなった孫の力を自分の手で確かめたかったからではないか、と読むことができます。
泣く悟空が描かれたことの意味
この回の悟空は、じいちゃんに抱きついて泣いています。悟空はふだん、どんな強敵が相手でも楽しそうに戦い、落ち込む姿をあまり見せない主人公として描かれてきました。
その悟空が、ここでは子どもらしく泣いている。ヨミコミは、この描写に、悟空の強さがどこから来ているのかが表れていると考えます。明るさや前向きさは、寂しさを知らないからではなく、大切な人を失った経験を抱えたうえでのものだった。じいちゃんの前でだけ見せた涙は、悟空が一人で旅を始めたときから胸にしまっていたものだったのかもしれません。
別れを告げに来たのではなく、送り出しに来た
じいちゃんは、あの世から一日だけ来ていると告げて帰っていきます。悟空がどれだけ望んでも、この世にとどまることはありません。
ここも解釈になりますが、この再会は、悲しい別れを繰り返すためではなく、悟空をもう一度送り出すためのものだったと読めます。じいちゃんが最後に亀仙人に礼を言うのは、悟空を鍛えてくれたことへの感謝です。孫悟飯は亀仙人の弟子でもありました。自分の師匠に、自分の育てた子を託す。この礼の一言には、悟空の成長を見届けたうえで、これからも頼むという気持ちが込められていると考えられます。
名前が、次の世代へ受け継がれる
のちに悟空は、自分の息子に悟飯と名づけます。サイヤ人編でピッコロに鍛えられ、やがてセルとの戦いを担うあの悟飯です。
これは作中の事実ですが、そこにどんな思いを読み取るかは読者に委ねられています。ヨミコミは、一日だけの再会で受け取ったものを、悟空が自分なりの形で次へ渡そうとした表れとして読みます。じいちゃんから亀仙人へ、そして悟空から息子へ。この其之108は、物語の中で世代がつながっていく線の、大事な結び目の一つです。
今の自分に置き換えると
大切な人と会えなくなったあと、その人に今の自分を見てほしかったと思うことがあります。できるようになったこと、頑張ってきたこと。報告したい相手がいないことは、寂しいものです。
この場面は、その寂しさを否定せずに描いています。悟空は強くなっても泣きますし、じいちゃんはとどまってはくれません。そのうえで、じいちゃんは悟空を送り出し、悟空はまた前に進みます。会えなくなった人から受け取ったものを、自分の毎日や、次の誰かとの関わりの中で生かしていく。そう考えると、会えないことと、つながりが切れることは、同じではないのかもしれません。
気持ちが沈んで一人では抱えきれないと感じるときは、身近な人や相談できる窓口に話してみるのも一つの方法です。
あわせて読みたい
じいちゃんの師匠でもある亀仙人の修業の始まり(其之31)や、悟空の息子・悟飯を鍛えたピッコロの最期(其之223)とあわせて読むと、師弟と家族の線がつながって見えてきます。