悟空が神龍とともに去っていく場面は、アニメ『ドラゴンボールGT』第64話「さらば悟空…また逢う日まで」です。『ドラゴンボールGT』の最終回で、原作漫画の最終回(其之519)とは別の、アニメ独自の結末です。この記事はGTの結末に触れるので、未視聴の方はご注意ください。
どんな場面か
邪悪龍との戦いのあと、神龍が姿を現し、もうドラゴンボールを使わせることはできないと告げます。地球の人々を生き返らせるという最後の願いをかなえると、神龍は悟空を連れて遠くへ去っていきます。
考察
ドラゴンボールに頼る物語の、区切り
アニメ『ドラゴンボールGT』で描かれる事実として、邪悪龍編の敵は、ドラゴンボールで願いをかなえ続けてきたことで生まれたものとされています。そして第64話で、神龍はもうドラゴンボールを使わせることはできないと告げます。
ここからはヨミコミの読みです。『ドラゴンボール』という作品は、題名のとおり、七つの玉を集めて願いをかなえるところから始まりました。倒れた仲間を生き返らせ、壊れたものを元に戻す。その仕組みは、物語を何度も救ってきました。GTの最終回は、その仕組みに頼ることへの区切りを、作品の最後に置いたと読めます。何でも取り戻せる世界から、取り戻せないものがある世界へ。最後の願いが地球の人々のためのものだったことも含めて、願いの物語の閉じ方として筋が通っていると考えます。
なぜ悟空が連れて行かれるのか
作中の事実として、神龍は最後の願いをかなえたあと、悟空を連れて去っていきます。
ヨミコミの読みでは、この結末は、悟空とドラゴンボールの結びつきを象徴しています。悟空の旅は、じいちゃんの形見の玉を持っていたところから始まり、ブルマとドラゴンボールを探す冒険として動き出しました。物語の最初から最後まで、悟空はドラゴンボールとともにありました。そのドラゴンボールが役目を終えるとき、悟空もまた物語の表舞台から去っていく。作品の始まりと終わりが、一つの線でつながるように構成されていると考えます。
また、悟空が去ることで、残された仲間たちは、ドラゴンボールにも悟空にも頼らずに生きていくことになります。ヨミコミの読みでは、これは突き放すための別れではなく、残る人たちを信頼したうえでの別れです。これまで何度も地球を救ってきた悟空がいなくなっても、地球の人々は自分たちの手で暮らしを続けていける。最後の願いで人々を生き返らせ、そのあとは任せて去る。その順番に、この最終回の静かな信頼が表れていると考えます。
原作の最終回と比べてみると
原作漫画の最終回(其之519)では、悟空は少年ウーブを鍛えるために連れて会場を去りました。アニメ『ドラゴンボールGT』第64話では、悟空は神龍とともに去っていきます。
どちらが正しい結末かを決めることは、この記事の目的ではありません。ヨミコミが注目したいのは、どちらの最終回でも、悟空が仲間のもとから去っていく形で物語が終わっている点です。原作では次の世代へ向かうために、GTではドラゴンボールとともに、悟空は去っていきます。去り方は違っても、悟空をいつまでも仲間の真ん中に置いておかない。その終わらせ方が、どちらにも共通しているように読めます。
今の自分に置き換えると
長く頼ってきたものや、当たり前にそばにあったものが、ある日終わりを迎えることがあります。習慣や居場所、人とのつながりなど、形はいろいろです。
この最終回は、その別れを、悲しさだけではなく一つの区切りとして描いています。すぐに気持ちの整理がつかなくても、それは自然なことです。去っていったものが残してくれたものを、少しずつ振り返っていく。この場面は、そういう受け止め方もあることを示しているように思います。
あわせて読みたい
原作漫画の最終回(其之519)と、悟空の育ての親が一日だけ戻ってくる場面(其之108)をあわせて読むと、別れを描く場面の違いと共通点が見えてきます。