チャオズがテレパシーで天津飯に別れを告げ、ナッパに捨て身の攻撃を仕掛ける場面は、第19巻 其之217「いそげ!孫悟空」です。サイヤ人編で、地球の戦士たちが圧倒的な力の差を突きつけられていく回の一つです。この記事は主要キャラクターの死に触れるので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
地球にやってきたサイヤ人のナッパを相手に、悟空の到着を待つ仲間たちは苦しい戦いを強いられます。天津飯はナッパに腕を奪われてしまいます。それを見たチャオズはナッパの背中に飛びつき、テレパシーで天津飯に別れを伝えて自爆します。しかしナッパにはほとんど傷がなく、捨て身の攻撃は届きませんでした。
考察
言葉が口ではなく、心で届けられた
作中の事実として、チャオズは天津飯への別れを、声ではなくテレパシーで伝えています。
ここからはヨミコミの読みです。ナッパの背中にしがみついた状態で、声を張り上げて伝えることもできたはずの場面で、チャオズが選んだのは、天津飯にだけ届く方法でした。テレパシーという手段には、二人の関係の近さがそのまま表れていると考えます。チャオズと天津飯は、天下一武道会に出てきたころから、いつも一緒に行動してきた二人です。最後の言葉を、周りの誰でもなく、天津飯ひとりに向けて送った。この場面の静けさは、その特別な距離から生まれているように思えます。
届かなかったことを、作品は隠さなかった
この場面でいちばん重いのは、チャオズの攻撃がナッパにほとんど効かなかったことです。物語によっては、命を懸けた一撃が相手に大きな傷を残し、仲間の勝利につながるように描かれることもあります。けれどドラゴンボールは、ここでそうしませんでした。
ヨミコミは、この描き方にサイヤ人編の厳しさが凝縮されていると読みます。気持ちがどれほど強くても、それだけでは力の差は埋まらない。作品は、その現実から目をそらさずに描きました。だからこそ、読者はチャオズの行動を、勝利のための作戦ではなく、天津飯を守りたいという気持ちそのものとして受け取ることになります。
同時に、ここで大切なのは、この場面を捨て身の行動の手本として読まないことです。作品が描いたのは、届かなかったという結果と、残された天津飯の痛みでした。自分を差し出す行動が報われる話としてではなく、失うことの重さを描いた場面として読むほうが、この回に込められたものに近いと考えます。
残された天津飯の側から見る
この場面は、チャオズの最期であると同時に、天津飯が友を失う場面でもあります。天津飯は、腕を失ったうえで、目の前でチャオズを失いました。
ここも解釈ですが、サイヤ人編では、このあとも仲間が次々と倒れていきます。ピッコロは悟飯をかばって倒れ、フリーザ編ではベジータがナメック星で涙を流します。其之217は、そうした別れが続いていく流れの、最初の大きな一つとして置かれています。力の差が絶望的なときに、人は大切な相手に何を伝えようとするのか。サイヤ人編は、その問いを何度も読者に見せていきます。
今の自分に置き換えると
大切な人が苦しんでいるのに、自分の力ではどうにもならない。そんなとき、人は自分の無力さを強く責めてしまうことがあります。何かしなければという気持ちが大きくなりすぎて、自分のことを顧みられなくなることもあるかもしれません。
この場面は、その気持ちの強さを描いています。ただし、作品が見せているのは、自分を投げ出しても状況は変わらなかったという事実と、残された人の痛みです。誰かを思う気持ちは、自分を犠牲にすることでしか示せないものではありません。そばにいること、話を聞くこと、助けを求めること。形は一つではありません。
もし、自分を責める気持ちや、消えてしまいたいという気持ちが続いてつらいときは、一人で抱え込まず、信頼できる人や、厚生労働省「まもろうよ こころ」で紹介されている相談窓口に話してみてください。電話やSNSで相談できる窓口もあります。
あわせて読みたい
同じサイヤ人編で、ピッコロが悟飯をかばって倒れる場面(其之223)とあわせて読むと、この編で描かれた別れのそれぞれの形が見えてきます。