ネテロが王との一騎打ちのさなか、これまでのすべてに感謝しながら手を合わせる場面は、第28巻 No.291「自問」です。キメラ=アント編でネテロと王が戦う決戦の中盤にあたります。敵に向けて感謝を告げるという、ネテロという人物の到達点が描かれる回です。
どんな場面か
王との一騎打ちに臨んだネテロは、百式観音で王を地下深くまで叩き込みます。戦いのなかで彼は、負けた相手が頭を下げて差し出してくる手に、ためらいなく応えられるようになっていたかつての自分を振り返り、全力を出し切れる相手をずっと求めていたのだと自問します。そして、ここまで来られたすべてに感謝しながら、胸の前で手を合わせます。その手はハートの形をつくっています。
考察
強くなりすぎた人の孤独
作中で描かれているのは、ネテロの自問です。負けた相手のほうが頭を下げて手を差し出してくる。それにすぐ応えられるほど、勝つことが当たり前になり、全力を出し切れる相手に出会えない。そういう相手をずっと求めていた、と彼は振り返ります。
ここからはヨミコミの読みです。強さを極めた人にとって、いちばん手に入らないのは「自分より強いかもしれない相手」です。勝ち続けるほど、全力を出す機会は減っていく。ネテロにとって王は、倒すべき敵であると同時に、長年待ち望んでいた相手でもありました。
だからこそ、この場面の感謝は皮肉でも余裕の表れでもなく、本心として読めます。敵を憎む気持ちより、全力を出せる場を得た喜びが先に立っている。これは、勝ち負けの手前にある、武人としての純粋な喜びです。
「これまでの全て」が指すもの
この場面のネテロの感謝は、王に向けられていると同時に、王との出会いに至るまでの全てに向けられています。ここに、ネテロの人生の読み方が詰まっているとヨミコミは考えます。
No.265「突入⑤」の回想では、46歳で武の限界に行き詰まったネテロが、自分を育ててくれた武道への恩返しとして、祈ってから一突きする修行を毎日一万回続けていました。行き詰まりを越えるために彼が選んだのは、感謝でした。
その感謝から始まった道のりの果てで、ネテロは最強の敵に出会い、再び感謝を口にする。修行の祈りと、戦いのさなかに合わせる手。二つの場面は、長い年月をはさんで同じ姿勢で結ばれています。ヨミコミの読みでは、ネテロにとって強さとは、感謝を積み重ねた先にあるもので、敵との出会いもまたその積み重ねの一部なのです。
手を合わせる姿の二重の意味
作中の事実として、ネテロは胸の前で手を合わせ、その手はハートの形になっています。
これは戦いの流れのなかに置かれた一つの動作ですが、祈りの姿勢でもあります。ヨミコミは、この姿に二つの意味が重なっていると読みます。一つは、戦う者としての構え。もう一つは、感謝を捧げる者としての祈り。ネテロにとってその二つは、もともと分かれていなかったのかもしれません。祈ってから突くという修行を長い年月続けてきた人にとって、祈ることと戦うことは同じ一つの動きなのだと考えると、この場面の静けさが腑に落ちます。
今の自分に置き換えると
手強い相手や難しい課題に出会うと、人はまず負担や不安を感じます。できれば避けたい、楽な道がいい。そう思うのは自然なことです。
ネテロの姿は、そうした相手を別の角度から見る読み方を示しています。自分の全力を引き出してくれる存在として見ること。うまくいくかどうかより、全力を出せる場が来たことそのものに目を向けること。
もちろん、つらい相手に無理に感謝しようとする必要はありません。ただ、振り返ったときに、あの難しい仕事や手強い競争相手がいたから今の自分がある、と思えることは少なくないはずです。その視点を少しだけ前倒しして、挑む前から持ってみる。この場面は、そういう挑み方もあると教えてくれます。
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この感謝の原点である、祈ってから一突きする修行の回想(No.265)とあわせて読むと、ネテロの人生が一本の線で見えてきます。