魔人ブウが連れ帰った子犬のけがを治し、ミスター・サタンがその子犬の気持ちをブウに教える場面は、第40巻 其之483「魔人ブウと仲間たち」です。激しい戦いが続く魔人ブウ編の中で、ひときわ静かな回です。この記事はネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
サタンはブウの家で一緒に暮らしながら、世界を救うため、爆弾を仕掛ける機会をうかがっていました。そこへブウが、怖がりも逃げもしない子犬を連れて帰ってきます。サタンが子犬の脚のけがに気づくと、ブウは子犬がおびえて逃げるようにと、そのけがを治してやります。それでも逃げずになついてくる子犬にブウは戸惑い、サタンは、助けてもらってうれしいのだとブウに教えます。
考察
サタンはなぜブウのそばにいたのか
作中の事実として、この回のサタンは、ブウと暮らしながら爆弾を仕掛ける機会を探しています。サタンはセルゲームのあと、世界を救った英雄として人々に知られていました。けれど実際にセルを倒したのが自分ではないことは、サタン自身がいちばんよく知っています。
ここからはヨミコミの読みです。サタンがブウに近づいたのは、力では到底かなわない相手に、自分にできるやり方で立ち向かおうとしたからだと読めます。大きな声と自信で世界チャンピオンを演じてきた人が、誰も見ていない場所で、自分の身ひとつで世界を救おうとしている。その動機が立派な英雄像とは少し違っていたとしても、行動そのものは本物です。英雄の看板と中身がずれていた人物が、ここで初めて看板に見合う仕事に手をかけている、とも言えます。
子犬の反応を、ブウは理解できなかった
作中の事実として、子犬のけがを治したのはブウ自身です。それなのに、逃げずに寄ってくる子犬の反応が、ブウにはわかりません。
ヨミコミの読みでは、ここにブウという存在の空白がよく表れています。ブウは圧倒的な力を持ちながら、誰かに感謝された経験も、誰かの気持ちを言葉で教わった経験も、ほとんどなかったのではないでしょうか。人を助けることはできても、助けられた側が何を感じているかは知らない。その空白を埋めたのが、サタンのごく当たり前のひと言でした。子犬はうれしいのだと教えることは、ブウに、自分のしたことが誰かを喜ばせたと知らせることでもあります。
もうひとつ見逃せないのは、この言葉を教えたのが、ブウを倒そうと機会をうかがっていたサタン本人だという点です。ヨミコミの読みでは、サタンはこのとき、爆弾を仕掛ける側の人間でありながら、ブウの戸惑いを放っておけなかった。計画よりも目の前のやりとりに反応してしまうところに、サタンという人物の根の部分が見えます。お調子者として描かれてきた人の中にも、相手の気持ちに素直に応える部分がある。この回は、それを初めてはっきり見せています。
英雄ではない人が、英雄の仕事をした
この場面でサタンがしたことは、戦いではありません。子犬の気持ちを、ブウにわかる言葉に置き換えて伝えただけです。けれど物語全体で見ると、力では誰にも変えられなかったブウの心に、最初に届いたのはこうした種類の言葉だったと読めます。
ヨミコミは、この回をサタンの見せ場のひとつとして読みます。セルゲームでは他人の手柄を自分のものにした人物が、ここでは誰にも見られていない場所で、ほかの誰にもできなかった仕事をしている。セルゲームで、頭だけになった16号を悟飯のもとへ運ぶ勇気を見せた場面(其之407)と並ぶ、サタンのもう一つの顔です。強さではなく、そばにいて言葉を渡すことが相手を変えることもある。魔人ブウ編の決着を知ってから読み返すと、この小さな回の意味がいっそう大きく見えてきます。
今の自分に置き換えると
身近な人の気持ちを、相手が受け取れる言葉に置き換えて伝えることは、特別な力がなくてもできることです。家族や友人、学校や職場で、誰かの親切や気持ちがうまく伝わっていないと感じたとき、その間に入ってひと言添える場面があるかもしれません。
反対に、自分のしたことが相手にどう届いたのか、わからないまま過ごしていることもあります。ブウのように戸惑ったときは、身近な誰かに、どう見えたかを聞いてみるのもひとつの方法です。この場面は、答えをくれる人が特別な誰かでなくてもいい、ということを静かに描いています。
あわせて読みたい
サタンが勇気を見せたセルゲームの場面(其之407)と、ブウとの戦いの決着(其之516)をあわせて読むと、サタンとブウの関係がどこへ向かったのかがわかります。