悟空が超元気玉で純粋な魔人ブウとの戦いに決着をつける場面は、第42巻 其之516「決着」です。長い魔人ブウ編の、文字どおりの決着の回です。この記事はネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
地球の人々の元気を集めた超元気玉で、悟空は純粋なブウを追い詰めます。押し返す力が足りない悟空は、ナメック星の神龍に体力を回復してもらい、最後の一押しの前に、たったひとりでよく頑張ったとブウをたたえます。そして、次は一対一で勝負したい、待っていると声をかけます。同じ回の冒頭では、ミスター・サタンが瀕死のベジータを担いで逃がす姿も描かれています。
考察
超元気玉は、悟空ひとりの力ではない
作中の事実として、超元気玉は、地球の人々が手を挙げて元気を分けたことで完成しています(その流れは其之514〜515)。なかなか集まらなかった元気が、最後には地球中から集まりました。そしてこの回では、悟空の体力もナメック星の神龍によって戻されています。
ここからはヨミコミの読みです。悟空はこの戦いを、自分ひとりで終わらせていません。ベジータが時間を稼ぎ、サタンが人々と悟空の間をつなぎ、地球の人々が手を挙げ、ナメック星の神龍が体力を戻した。最後の一撃を放つのは悟空でも、その一撃は多くの人の手を経ています。
だからこそ、たったひとりで戦ってきたブウをたたえる言葉に重みが出ると考えます。自分がひとりではなかった悟空が、ひとりきりで暴れ続けてきた相手の姿をちゃんと見ていた。勝った側の余裕というより、自分との違いに気づいた者の言葉として読めます。
倒す相手に、なぜ次を約束するのか
作中の事実として、悟空は最後の一押しの前に、ブウの戦いぶりをたたえ、次は一対一で勝負したいと告げ、待っていると言います。
ここからはヨミコミの読みです。悟空にとって戦いは、相手を消すことではなく、強い相手と力をぶつけ合うことでした。実際に悟空は、かつて命を懸けて戦ったピッコロやベジータと、のちに同じ側に立って戦っています。敵だった者が、次に会うときは違う形になる。悟空はそれを何度も経験してきた人物です。
倒さなければ地球が危ない局面でも、悟空は相手の強さへの敬意を手放していません。むしろ、ここで倒さなければならない相手だからこそ、次に会うときは別の形で、と願ったのだと読めます。悟空が最後にかけた言葉も、その願いを短くまとめたものとして読めます。勝ち負けと、相手という存在への評価を、悟空は最後まで分けて考えていました。
決着の回に置かれた、サタンの姿
この回の冒頭で、サタンは瀕死のベジータを担いで逃がしています。其之483でブウと心を通わせたのも、このサタンでした。
ヨミコミの読みでは、力で世界を救えない人が、自分にできることをする姿が、決着の回にもきちんと置かれていることに意味があります。悟空の言葉が、倒すことと許すことのあいだにあるように、この回全体が、力だけでは終わらない決着を描いていると考えます。
世界チャンピオンの看板を背負ってきたサタンが、最後の局面で選んだのは、戦うことではなく、倒れた仲間を運び出すことでした。悟空が最後の一撃を担い、サタンが一人の命を担う。役目の大きさは違っても、どちらもその場で自分にできることを選んでいます。決着という題の回に、こうした小さな役目がいくつも重ねられていることが、魔人ブウ編の締めくくりとしての厚みを生んでいると読めます。
今の自分に置き換えると
競い合う相手や、意見がぶつかった相手と区切りをつける場面は、日常にもあります。勝ち負けがついたあとで相手の頑張りを言葉にしてたたえることは、区切りをつけた側にしかできない振る舞いでもあります。
また、何かをやり遂げたとき、それが自分ひとりの力ではなかったと振り返ってみることも、この場面の読み方のひとつです。誰の手を経て今の結果があるのかを知っていると、相手への見方も少し変わるかもしれません。
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ブウとサタンの関係が変わる其之483と、この戦いの10年後を描く原作の最終回(其之519)をあわせて読むと、悟空の言葉がどこへつながったのかが見えてきます。