頭だけになった人造人間16号が、悟飯に最後の言葉を託す場面は、第34巻 其之407「セルジュニアの地獄」です。セルゲームの流れが大きく変わる、転換点の回です。この記事はセルゲームの重要な展開に触れるので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
セルゲームで、セルが生み出したセルジュニアたちに、悟飯の仲間が次々と追い詰められていきます。その前の其之406で自爆に失敗し、頭だけになっていた16号は、ミスター・サタンに頼んで、自分の頭を悟飯の近くへ投げてもらいます。16号は、正しいことのために戦うのは罪ではないと悟飯に伝え、自分が好きだった自然や動物を守ってほしいと願います。しかしその直後、セルに踏みつぶされます。これをきっかけに、悟飯の怒りは限界を超えます。
考察
戦いたくない少年に、戦いを嫌う者が語った
まず作中の事実を整理します。悟飯は、強い力を持ちながらも、もともと戦いを好まない少年として描かれてきました。セルゲームでも、悟飯は力を出し切ることをためらっています。そして16号もまた、戦うために作られた人造人間でありながら、自然や動物を好む、穏やかな性質を持っていました。
ここからはヨミコミの読みです。16号の言葉が悟飯に届いたのは、それが戦いを好む者からの言葉ではなかったからだと考えます。戦え、と言われるだけなら、悟飯はそれまでも何度も聞いてきたはずです。けれど16号は、戦いを嫌う者として、それでも戦うことが必要な時があると伝えた。悟飯と同じ場所に立った者の言葉だったからこそ、悟飯の迷いに届いたのだと読めます。
罪ではない、という言い方の意味
16号の言葉は、戦え、という命令の形をとっていません。正しいことのために戦うのは罪ではない、という、許しの形をとっています。
ヨミコミは、この言い方に大きな意味があると考えます。悟飯がためらっていたのは、力がないからではなく、力を使うことへの抵抗があったからです。その抵抗の奥には、人を傷つけることへのためらいや、怖さがあったのでしょう。16号は、その気持ちを否定せずに、戦うことを悪いことだと思わなくていい、と伝えた。背中を押したのではなく、背負っていた重りを一つ下ろしてあげた、と言ったほうが近いかもしれません。
守ってほしいと願ったものが、自然だった
16号が最後に託したのは、自分が好きだった自然や動物を守ってほしいという願いでした。地球の平和や、仲間の命ではなく、もっと身近で静かなものです。
ここも解釈ですが、この願いは、悟飯にとって、戦う理由を具体的な形で渡すものだったと考えます。正義や平和という大きな言葉より、身近な生き物や風景といった目に見えるもののほうが、心に残りやすい。16号は、戦いを嫌う者どうしだからこそ、悟飯が守りたいと思えるものを、自分の好きだったものとして差し出したのではないでしょうか。
サタンが運んだ、という事実
この場面では、16号の頭を悟飯のもとへ運んだのがミスター・サタンだという点も見逃せません。サタンは、セルゲームに挑んだものの、戦いの力では到底かなわない立場にいました。それでも、16号の頼みを聞き、危険な戦場に近づいて頭を投げています。
ヨミコミは、ここにサタンの小さな勇気を見ます。自分が主役になれないことを知りながら、主役に言葉を届ける役を引き受けた。この場面の大きな転換は、戦う力を持たない人の一歩がなければ起きていませんでした。
今の自分に置き換えると
争いごとが苦手で、できれば誰ともぶつかりたくない。そういう人にとって、自分の意見をはっきり言うことや、何かに異を唱えることは、とても負担が大きいものです。それが正しいとわかっていても、踏み出せないことがあります。
16号の言葉は、そのためらいを否定しないまま、正しいことのために動くのは悪いことではないと伝えています。ぶつかることが好きになる必要はありません。ただ、守りたいものがはっきりしているとき、その気持ちを理由に一歩踏み出すことは許されている。そう受け取ることができます。
また、サタンのように、自分が前に出なくても、誰かの言葉を届ける役を担うこともできます。決断したい人のそばで、その背中を押すための言葉を運ぶ。それも、一つの関わり方です。
あわせて読みたい
このあと悟飯がセルとの決着に全力で挑む場面(其之416)や、少年編で命令より良心を選んだ人造人間8号の場面(其之63)とあわせて読むと、作られた存在と、その心の描かれ方がより深く見えてきます。