亀仙人が悟空とクリリンに、技ではなく一日の過ごし方を修業として課す場面は、第3巻 其之31「亀仙流の厳しい修業」です。のちに数々の強敵と戦っていく二人の修業が、どこから始まったのかがわかる回です。
どんな場面か
弟子入りした悟空とクリリンに亀仙人が課したのは、畑仕事、読み書き、昼寝、工事の手伝い、水泳といった、一日の暮らしそのものでした。早く戦い方を教えてほしいと言い出す悟空に、亀仙人は大岩を動かして見せ、毎日修業を積めば二人にもできるようになると告げます(直後に悟空があっさり岩を動かしてしまい、亀仙人がごまかすという笑いの場面も続きます)。
考察
師匠が最初に渡したのは「型」ではなく「土台」
まず作中で描かれていることを整理します。亀仙人は弟子入りした二人に、技を一つも教えていません。代わりに、体を動かす仕事と、勉強と、休む時間を一日の中に組み込みました。二人は不満を口にし、亀仙人は言葉で言い返すより先に、大岩を動かして見せています。
ここからはヨミコミの読みです。亀仙人が大岩を見せたのは、力自慢のためではなく、技の手前にある土台の大きさを見せるためだったと考えられます。技は土台の上に乗るもので、土台が小さければ、どんな技も小さくしか使えない。言葉で説明しても、強くなりたい一心の少年たちには届きにくい。だから結果の姿を先に見せて、そこへ至る道は地味な毎日しかないと示した。教える順番として、とても理にかなっています。
遊ぶことと休むことまで、修業に数えている
亀仙人の教えでいちばん目を引くのは、動くこと・学ぶことと並んで、遊ぶことと休むことまで修業に数えている点です。厳しい修業という話タイトルとは裏腹に、亀仙人は体をいじめ抜くことだけを修業とは呼んでいません。
ヨミコミはここに、長く続けるための設計を見ます。動く、学ぶだけなら、根性で数週間は続けられるかもしれません。けれど、食べることと休むことを削れば、体はどこかで壊れます。遊ぶことを削れば、心がすり減ります。亀仙人は、強さを一日で作るものではなく、毎日の積み重ねで育てるものと考えていた。だから、毎日を続けられる形そのものを修業にしたのだと読めます。
学ぶことが入っている意味
もう一つ見落とせないのが、読み書きが修業に入っていることです。武術の師匠が、勉強の時間をわざわざ一日の中に置いている。
ここも解釈になりますが、亀仙人の考える強さは、腕っぷしだけで完結していないのでしょう。強い力を持つ者ほど、それをどう使うかを考える頭が要る。悟空はのちに、倒した相手にも声をかけ、次の世代を鍛える側に回っていきます。力を持ったあとの振る舞いまで含めて強さだとすれば、学ぶことが最初の修業に入っているのは自然なことです。
悟空のじいちゃんへとつながる線
亀仙人は、悟空の育ての親である孫悟飯の師匠でもありました。悟空のまっすぐさの一部は、じいちゃんを通して、すでに亀仙流から受け継いでいたものだと見ることもできます。其之31の修業は、悟空が亀仙人の弟子として歩き出す場面であると同時に、じいちゃんが歩いた道を自分も歩き始める場面でもある。そう読むと、この地味な修業回が少し違って見えてきます。
今の自分に置き換えると
新しい仕事や勉強を始めたとき、早く目に見える成果がほしくて、近道になりそうな方法ばかり探してしまうことがあります。資格の過去問だけを解く、ノウハウだけを集める、寝る時間を削って量をこなす。短期的にはうまくいくこともありますが、続かなければ意味がありません。
この場面は、成果の手前にある毎日の組み立て方に目を向けさせてくれます。体を動かす時間、学ぶ時間、遊ぶ時間、食べる時間、休む時間。どれか一つを削って残りを伸ばすのではなく、全部をそろえて毎日を回す。頑張りたい気持ちが強いときほど、休むことも予定に入っているかを確かめてみる。亀仙人の教えは、そのための点検表として読むこともできます。
また、悟空とクリリンが不満をもらしたように、基礎を積んでいる時期は、成長している実感を持ちにくいものです。毎日同じことの繰り返しに見えて、本当にこれで前に進んでいるのかと不安になることもあります。亀仙人が大岩を見せたように、自分がどこへ向かっているのかを時々思い出せるものを手元に置いておく。憧れの人の仕事ぶりや、少し先の目標を眺め直すだけでも、地味な毎日の意味は見えやすくなります。迷っているときは、足りない技を探す前に、毎日の土台が崩れていないかを見直してみる。そんな使い方もできる場面です。
あわせて読みたい
亀仙人の弟子でもあった育ての親との再会(其之108)や、悟空が次の世代を鍛える側に回る最終回(其之519)とあわせて読むと、亀仙流の教えがどう受け継がれていったかが見えてきます。