悟飯がセルとのかめはめ波の押し合いの末に全力を出し切る場面は、第35巻 其之416「かめはめ波対かめはめ波 最後の決戦」です。人造人間・セル編の決着を描く回です。この記事はセルゲームの結末に触れるので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
セルゲームの最終盤、悟飯は片腕の状態で、セルとかめはめ波を撃ち合い、押し合っています。あの世にいる悟空は、心の声で悟飯に語りかけます。悟飯が、地球を壊してしまうことを恐れて力を抑えていると見抜き、壊れてもドラゴンボールで直せると励ますのです。ベジータの一撃でセルに隙が生まれた瞬間、悟空の合図で、悟飯は全力を出し切ります。
考察
力が足りないのではなく、出せなかった
作中で描かれている事実を整理します。この場面の悟飯は、力が足りなくて押されているのではありません。悟空が見抜いたとおり、地球を壊してしまうことを恐れて、力を抑えていました。
ここからはヨミコミの読みです。悟飯のためらいは、この場面だけのものではないと考えます。悟飯はもともと戦いを好まない少年として描かれ、セルゲームでも、力を振るうことに迷いを見せていました。16号の最期を経て怒りを爆発させたあとも、悟飯の中には、大きすぎる力を持つことへの怖さが残っていたのでしょう。自分の力が、守りたいものまで壊してしまうかもしれない。その怖さが、最後の最後で悟飯の手を止めていたのだと読めます。
悟空がかけたのは、根性論ではなかった
悟空は、ここで悟飯に、もっと頑張れとは言っていません。壊れてもドラゴンボールで直せる、と伝えています。
ヨミコミは、この励まし方に注目します。悟空は、悟飯の気持ちの弱さを責めるのではなく、悟飯が恐れていることの中身を正確に言い当て、その恐れを取り除く具体的な事実を示しました。やる気の問題ではなく、心配ごとの問題だと見抜いていた。だから、精神論ではなく、心配ごとへの答えを渡したのです。
悟空はセルゲームの途中で、自分から戦いを降り、悟飯に後を託していました。そのあと、悟空は悟飯を守る形で命を落としています。父として、息子の力を誰よりも信じていた悟空だからこそ、力が足りないのではなく、出せないのだと見抜けた。この声は、そうした流れの最後に置かれています。
自分を責める気持ちも、抱えていたかもしれない
悟空が命を落とす前、悟飯は圧倒的な力を得て、セルを追い詰めていました。しかしすぐに決着をつけなかったことで、セルは自爆しようとし、悟空が悟飯たちを守るためにセルを連れて瞬間移動しました。
ここも解釈ですが、この流れを考えると、悟飯の中には、父を死なせてしまったという思いもあったかもしれません。そんな悟飯に、あの世から父の声が届く。責める言葉ではなく、全力を出していいという言葉です。この場面の温かさは、父が息子の失敗を責めずに、次の一歩だけを示したところにもあるように思えます。
ベジータの一撃が作った隙
決着のきっかけを作ったのは、ベジータの一撃でした。悟飯ひとりの力でも、悟空の声だけでもなく、ベジータの行動があって、はじめて悟飯は全力を出す瞬間を得ています。
この場面は、ファンのあいだやグッズなどで、親子かめはめ波という呼び名で知られることもあります。原作では、撃ち合いが始まる直前の其之415の終わりに、悟飯の後ろに悟空の姿が重ねて描かれています。ただ、親子かめはめ波という呼び名が原作の中で使われているかどうかは、ここでは断定しません。原作の流れに沿って読むなら、悟空の声とベジータの一撃、悟飯自身の決断の三つがそろって迎えた決着だと言えます。
今の自分に置き換えると
力はあるはずなのに、なぜか本気を出せない。そういうとき、原因はやる気の不足ではなく、失敗したらどうしようという心配にあることがあります。周りに迷惑をかけるかもしれない、取り返しがつかないかもしれない。その心配が、手を止めてしまうのです。
悟空の励まし方は、そんなときの考え方のヒントになります。もっと頑張れと自分を追い込むのではなく、何を恐れているのかを具体的に言葉にしてみる。そして、その恐れが本当に取り返しのつかないものなのかを確かめてみる。やり直せるとわかれば、全力を出すことへの怖さは少し小さくなるかもしれません。
また、自信をなくしている誰かに声をかける立場になったときも、この場面は参考になります。気合いを求めるより、相手が何を心配しているかを聞いてみる。それだけで、かける言葉は変わってきます。
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悟飯の怒りが限界を超えるきっかけとなった16号の場面(其之407)や、幼い悟飯を鍛えたピッコロの最期(其之223)とあわせて読むと、悟飯が多くの人に支えられてこの決着にたどり着いたことが見えてきます。