ドラム島のヤブ医者ヒルルクが、人が本当に死ぬのはいつかを語る場面は、第16巻 第145話「受け継がれる意志」です。アニメでは第86話から第87話にかけて描かれます。チョッパーが医者を志す理由の核心となる回です。
この記事はヒルルクの最期に触れます。命を絶つ場面を含む内容なので、つらいときは無理に読み進めないでください。
どんな場面か
冬島ドラムで、ヒルルクは人々の心を救うための研究を続ける医者でした。仲間からも人間からも拒まれたトナカイのチョッパーを救い、名前を与えたのもヒルルクです。病に侵された彼は、医者たちが倒れたという国王ワポルの嘘の知らせにおびき出され、城で兵に囲まれます。ヒルルクは、人の死と受け継がれる夢について語り、その場で自らの最期を選びます。
考察
死を体の問題ではなく、記憶の問題として語る
作中の事実として、ヒルルクは、人が本当に死ぬのは体が終わるときではなく、人々の記憶から消えたときだという趣旨のことを語っています。この言葉は、銃を向けられ、自分の病も治らないと分かっている状況で語られました。
ここからはヨミコミの読みです。医者であるヒルルクは、体の死を誰よりもよく知る立場にいました。その人が、死を体ではなく人々の記憶の側に置き直している。それは、自分の命が尽きることを受け入れたうえで、それでも終わらないものがあると信じる態度です。ヒルルクにとって大事だったのは、自分が生き延びることより、自分が抱いた夢が誰かの中で続くことでした。回のタイトルが受け継がれる意志という言葉になっているのは、この考え方が場面全体を貫いているからだと考えます。
チョッパーという受け手がいたこと
事実として、ヒルルクの死の直後、チョッパーはドクターくれはに弟子入りし、どんな病気も治せる医者になると決意します。
ヨミコミは、ヒルルクの言葉が成立したのは、チョッパーという受け手がいたからだと読みます。忘れられたときに人は死ぬのなら、覚えている人がいる限り、その人は生き続ける。チョッパーが医者を目指すこと自体が、ヒルルクを忘れないということの最も具体的な形になっています。言葉は語った人のものであると同時に、受け取った人がどう生きるかによって意味が決まる。この場面は、語り手と受け手の両方がそろって初めて完成する場面です。
桜という、叶わなかったはずの夢
ヒルルクは、ドラムの雪の空に桜を咲かせる研究を続けていました。人々の荒れた心を治すための研究です。事実として、この研究はドラム島編の終わりで、くれはの手によって形になり、冬島の夜空を桜色に染めます。
ヨミコミの読みでは、この結末は、ヒルルクの言葉が作品の中で実際に証明された瞬間です。ヤブ医者と呼ばれ、生きているうちには誰にも理解されなかった夢が、彼を覚えていた人たちの手で実現した。本人がいなくなったあとで夢が叶うという描き方は、悲しい話を、悲しいだけでは終わらせないための構成だと感じます。
ドクロの旗に込めたもの
ヒルルクは、ドクロの旗を信念の象徴として掲げていました。事実として、ドラム島編ではルフィがこの旗を城の上に立て直す場面が描かれ、そのあとチョッパーは一味に加わります。ヨミコミは、ヒルルクが残したのは治療の技術ではなく、何を信じて生きるかという姿勢だったと読みます。
今の自分に置き換えると
大切な人を亡くしたとき、その人との時間が消えてしまったように感じることがあります。この場面は、覚えていること、思い出すことそのものに意味があると描いています。亡くした人の言葉や癖、好きだったものを思い出すことは、その人と一緒に過ごした時間を自分の中に残しておくことでもあります。
一方で、この場面には命を絶つ描写が含まれています。作品の中の選択は物語として描かれたものであり、現実の生き方の手本として読むものではありません。気持ちが沈んでつらいときは、一人で抱え込まず、信頼できる人や、厚生労働省まもろうよ こころで紹介されている相談窓口に話してみてください。
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仲間が遺した歌を支えに生き続けたブルックの過去や、一味を運び続けた船との別れの場面をあわせて読むと、この作品が、いなくなったものを覚えていることをどう描いてきたかが見えてきます。