フリーザの一言で、悟空がクリリンのことを思い出して激しく怒る場面は、原作では第27巻 其之323「ふたつの願い」です。悟空が超サイヤ人に目覚める場面(其之317〜318)とは別の回で、覚醒のあと、フリーザとの戦いが終盤に差しかかったところで描かれます。この記事はクリリンの死に触れるので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
ナメック星でのフリーザとの戦いの途中、クリリンはフリーザに殺されます。それをきっかけに悟空は超サイヤ人に目覚めます(其之317「生か死か」の終わり〜其之318「伝説の超サイヤ人」)。其之323は、その後の戦いの終盤です。フリーザが、悟空をあの地球人のように粉々にしてやると口にします。それがクリリンのことだと気づいた悟空は、激しい怒りをあらわにします。
考察
有名な場面は、覚醒の瞬間ではなかった
まず事実を確認します。悟空がクリリンの名を口にして怒るこの有名な場面は、原作では、超サイヤ人への覚醒と同じ回ではありません。クリリンが倒され、悟空が超サイヤ人になるのは其之317〜318。フリーザの言葉に悟空が怒るのは、それから数話あとの其之323です。
この場面を覚醒の瞬間のセリフとして覚えている人も少なくないようです。検索でも、この場面の流れや、覚醒との関係を確かめようとする言葉が多く見られます。ここでは、原作の回の順番どおりに整理しておきます。
一度目の怒りと、二度目の怒りは違う
ここからはヨミコミの読みです。クリリンが倒された直後の悟空の怒りは、目の前で親友を失った衝撃から、いわば爆発するように生まれたものでした。その怒りが、悟空を超サイヤ人へと押し上げます。
一方、其之323の怒りは、少し性質が違うと考えます。悟空はすでに超サイヤ人として戦い、フリーザと互角以上に渡り合っています。そのなかでフリーザが、クリリンのことを、ただの一人の地球人として軽く口にした。悟空の怒りは、親友の死そのものに加えて、その死を軽く扱われたことにも向いているように読めます。
最初の怒りが、失ったことへの衝撃だったとすれば、二度目の怒りは、失ったものの重さをわかっている者の怒りです。だからこそ、この場面の悟空は、覚醒のときとは違う、静かで重い迫力を帯びて見えます。
フリーザにとっての地球人、悟空にとってのクリリン
フリーザは、クリリンの名前すら口にしていません。あの地球人、という呼び方です。フリーザにとってクリリンは、数えきれないほど奪ってきた命の一つにすぎませんでした。
悟空にとっては、そうではありません。クリリンは、亀仙人のもとで一緒に修業を始めた兄弟弟子です。少年編からずっと、隣で戦ってきた相手でした。ヨミコミは、この場面の怒りを、名前のない一人として扱われた友の、名前を取り戻そうとする怒りとして読みます。悟空が相手の言葉の中からクリリンのことを聞き取ったのは、それだけクリリンが、悟空の中で大きな存在だったからでしょう。
怒りが強さに変わる、その前提にあるもの
ドラゴンボールでは、仲間を思う怒りが、キャラクターの力を大きく引き出す場面が何度か描かれます。サイヤ人編でピッコロを失った悟飯も、人造人間・セル編で16号を失った悟飯も、そうでした。
ここも解釈ですが、これらの場面に共通しているのは、怒りの前に、深い関係が描かれていることです。怒りだけが人を強くするのではなく、それだけ大事な相手がいたことが、怒りに重さを与えている。其之323の悟空も、少年編からの積み重ねがあるからこそ、読者の心を動かす場面になっています。
今の自分に置き換えると
大切な人が軽く扱われたとき、自分が傷つけられたとき以上に腹が立つことがあります。家族や友人、一緒に頑張ってきた仲間のことを、事情を知らない誰かが軽く言う。そんなとき、怒りを覚えるのは自然なことです。
この場面は、その怒りが、相手を大事に思っている気持ちの裏返しであることを見せてくれます。ただ、怒りをそのままぶつけることが、いつも正しいわけではありません。自分が何に怒っているのか、誰の何を大事に思っているのかを言葉にしてみると、次にどう動けばいいかが少し見えやすくなります。悟空の怒りの中にあったのは、クリリンへの思いでした。自分の怒りの中にあるものも、同じように見つめ直してみることができます。
あわせて読みたい
同じフリーザ編の少し前の回で、ベジータが悟空にフリーザを倒してくれと託す場面(其之308)とあわせて読むと、悟空がこの戦いに何を背負って臨んでいたのかが、より立体的に見えてきます。