エースがルフィの腕の中で最期を迎える場面は、第59巻 第574話「ポートガス・D・エース死す」です。アニメでは第483話から第484話にかけて描かれます。頂上戦争編の中でも、もっとも多くの読者の記憶に残る回の一つです。この記事はエースの死に触れるので、未読の方はご注意ください。
どんな場面か
海軍本部マリンフォードでの戦いのさなか、処刑台から救い出されたエースは、ルフィをかばって赤犬の攻撃を正面から受けます。ルフィの腕の中で、エースは自分が生まれてきてよかったのかと悩み続けてきた過去を振り返り、自分を受け入れてくれた仲間と家族への思いを語ります。そして最後に感謝を伝え、笑って息を引き取ります。
考察
エースが抱え続けた問い
作中の事実として、エースは海賊王ゴール・D・ロジャーの息子です。そして、自分がその血を引いて生まれてきたことを、長く肯定できずにいました。最期の場面で彼が振り返ったのも、生まれてきてよかったのかという問いでした。
ここからはヨミコミの読みです。エースの強さや自由な振る舞いの奥には、いつもこの問いがあったのだと考えます。世間は、会ったこともない父の名前で自分を見る。自分の意思とは関係なく、生まれたこと自体を責められる。その重さを背負った人にとって、誰かに必要とされることは、生きていてよい理由そのものだったのではないでしょうか。
答えは、最後に他人の側からやって来た
注目したいのは、エースが自分で答えを見つけたのではなく、周りの人たちから受け取っていたと気づく形で描かれていることです。事実として、エースを救うために白ひげ海賊団はマリンフォードに攻め込み、ルフィは海底の大監獄インペルダウンを抜けてここまでたどり着いていました。
ヨミコミの読みでは、エースが最期に口にしたのは、何かを成し遂げた達成感ではなく、受け取っていたものへの感謝です。自分では肯定できなかった生まれを、仲間と家族はとっくに受け入れていた。その事実に、命の終わりでようやく手が届いた。だからこそ、この言葉は「悲しい別れ」であると同時に、長い問いへの答えとして読めます。最期に笑っていたという描写は、その答えを受け取れたことの表れだと考えます。
助けに来た弟の腕の中で
この場面のもう一つの痛みは、救い出したはずの兄を、救いに来た弟の目の前で失うという構図にあります。ルフィはこの戦いのために、命がけで海軍本部まで来ていました。
ヨミコミは、エースがルフィをかばった行動を、兄としての自然な反応として読みます。ただし作品は、それを美しい自己犠牲としてだけ描いてはいません。目の前で兄を失ったルフィの姿を、次の回以降も正面から描き続けます。守られた側に残るものの重さまで描いているところに、この場面の誠実さがあります。
第1巻から続く「受け取る」物語
ONE PIECEは、第1話でシャンクスがルフィに麦わら帽子を預ける場面から始まる物語でした。誰かから何かを受け取り、それを背負って進む。その形が、エースの最期にも表れています。
エースは最後に、受け取っていた愛情に気づいて感謝を残しました。そして残されたルフィは、兄から受け取ったものを抱えて、立ち直ることを迫られます。受け取る側が次の誰かを支える側になっていく流れは、この作品を通して繰り返し描かれるテーマだとヨミコミは考えます。
今の自分に置き換えると
自分がここにいてよいのか、という気持ちを抱えることは、多くの人に覚えがあるかもしれません。生まれや環境、過去の出来事など、自分では選べなかったことで自分を責めてしまうこともあります。
エースの最期から読み取れるのは、自分を肯定する言葉は、必ずしも自分の中から生まれなくてもよいということです。周りの人がすでに向けてくれている気持ちに気づくことが、答えになる場合もあります。
そしてもう一つは、感謝は伝えられるうちに伝えておきたい、ということです。エースの言葉が多くの読者に残るのは、それが最期の言葉だったからでもあります。身近な人に向けた一言は、特別な場面を待たなくても口にできます。
自分がここにいてよいのか、という気持ちが続いて一人で抱えきれないときは、信頼できる人や、厚生労働省まもろうよ こころで紹介されている相談窓口に話してみてください。
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この直後、戦場に立ち続けた白ひげの最期と、兄を失ったルフィにジンベエが向き合う場面もあわせてどうぞ。